<八高つれづれ草子> 第24回

上X国語翁

【 河内貯水池 文学散歩 】

新緑の大蔵から河内貯水池を歩きます。

大蔵校舎への路には、今もひらしま酒店があります。お店の壁面には種田山頭火の句がお洒落にいくつも描かれています。昭和5年、山頭火は大蔵を訪れていて、その縁が今に残ります。店の横には平成に入って句碑も建てられています。

「訪ねて逢へて赤ん坊生れてゐた」 山頭火

大蔵校舎跡から河内貯水池へは、「天心」溝上酒造のわきを板櫃川沿いに谷を歩きます。気持ちの良い散歩道で、ダムが近くなれば森林浴。大きく高く空を区切る巨大なダムを見上げるところまで来ると、周辺は亜字噴水池、太鼓橋、桜吊橋などが配された園地の趣。ここからダム堰堤(えんてい)へと登ります。

西欧の古城の風情漂う堰堤をすすむと、中央の塔入り口に「風雨龍吟」という銘板。「龍が吟ずれば、風雨が起こる」と水の恵みを祈る言葉のようです。突き当りの崖には前回ご紹介した「乾坤日夜浮ぶ」。いずれも八幡製鉄長官によるものです。

当時、官営八幡製鉄は、国産技術によるダム建設を目指し、指揮官として若き土木部長、沼田尚徳を任命しました。彼は9か月に及ぶ英米への技術視察の後、八高開校と同年、大正8年から、のべ90万人もの従事者たちと8年をかけ、この大事業を成し遂げました。

堰堤入り口の山側に管理事務所跡があり、土木部長沼田尚徳によるプレートがかけられています。「遠想」。自分たちの建設したダムの、はるか未来の姿を思ったのでしょうか。

その沼田尚徳は、ある記念碑を残しました。それは貯水池を望む白山宮の一隅にあります。<妻恋いの碑>とも呼ばれる「沼田泰子記念碑」です。このダム工事の終ろうとするころ、40歳の若さで病没した妻への想いを石に刻んだのです。五言絶句だけ口語にしてみます。

あなたの魂は今どこにいるのか

美しい人は黄泉の国へと旅立ってしまい

あなたと過ごした幸せな日々は

一夜の夢となってしまった

舞い散る花を前に、悲しみに胸は張り裂ける

表の碑文には「神様のご加護と、妻の内助によって、河内ダム建設は成し遂げられた」とあります。妻への深い情愛が、こうして石に刻まれ、こんな場所にたたずんでいます。また、裏面には英文が刻まれる。建築土木の技術者の残した漢詩文と英語文、ここでも近代日本の知識人の教養、感性に心惹かれます。

白山宮をもう少し進み、河内小学校のちょっと先、貯水池に突き出した観音堂の境内。大蔵に遊び、河内を訪れた山頭火の句碑がここにもあります。

「水を前に墓一つ」 山頭火

貯水池の完成から3年後、山頭火も大蔵から河内へと歩いた道です。こちらもまもなく100年が経ちます。

高校27期 上掛靖良