<八高つれづれ草子> 第32回 【 あの体育大会 】

                              上X国語翁

八高は体育大会の季節。今年は9月3日に平日、半日という大会だったそうです。

コロナや熱中症対応でここ10年近くは開催に色々な困難もありながら、大きな熱量と工夫で大会を実施してきました。

僕は自分が八高生だった分を入れると40回ほどの大会に関わりました。その間、わずかに2度か3度、台風や大雨で順延があっただけで、中止は一度もなかったと思います。受験勉強も何のその、毎年毎夏、3年生中心にスゴイ執念と情熱でやり遂げています。

遠く半世紀前、僕は体育大会で応援団員でした。「黄昏北斗」だったかな、演舞の特訓、ヤグラ用の孟宗竹を猪倉の竹林から切り出し、槻田橋あたりを引きずって運ぶ、前夜からの大騒動など、詳しく言えない思い出も。

初めてグラウンドにスタンドが建てられた平成5年の大会も胸に残ります。これは第6回『スタンドを建てようぜ』に書きました。

雨の大会が記憶に深い。練習から本番まで、全部タイヘンでした。見通しも立たない中、体育館で大会予行。実行委員達のあせり。ある早朝、大勢の3年生がグラウンドに出て、水たまりの水を雑巾でバケツに絞る姿も忘れられない。

雨の大会当日。タンブリングは滑る。創作ダンスの女子が、泥状のグラウンドに、かまわず仰向けになるシーン。会場の「ウォーー」。あのどよめきが今も残る。閉会後の「やり遂げた」感を共有する生徒たちの顔が良かった。

コロナ禍の令和2年「夜の体育大会」。この特別さは忘れられない。

オーロラビジョンをグラウンドに建てて体育大会をやる。フィナーレには花火を上げる、驚きの発想は、様々な努力に支えられ、現実のものとなり、八高体育大会の伝統は、思わぬ姿で引き継がれました。

この大会を経験したのは、コロナのために様々な制約・不自由を強いられ、マスクの下に笑顔も隠れてしまっていたあの時の生徒たち。「神様から彼らへのプレゼント」。打ち上がる花火に僕はそんな気がしてました。

「あの体育大会」という記憶はありますか。    

高校27期 上掛靖良