<八高つれづれ草子> 第13回   

                        上X国語翁

【 2分で八高史 】

先月、永島先生のFM放送によんでいただき「特集 八高を語ろう」ということで、内村元校長先生たちとご一緒しました。緊張と楽しさ半々の1時間でした。

あらかじめ僕に与えられたミッションは「上掛先生には八高の歴史をお願いします。2分ありますので」ということ。笑ってはいけない、これは番組構成上の大まじめの割り当てです。役回りに文句は言えません。「了解」。

106年を2分。僕がそのときにまとめた「2分で語る八高史」が今回のつれづれ草子です。卒業生でもあり長いこと職員であった自分が眺めた歴史。どうぞこれが2分の原稿です。

 < 八高106年の歴史は、前半の大蔵校舎時代と、校舎全面移転を経た現在の清田校舎時代に分かれます。

前半52年間の大蔵時代は、皿倉に抱かれた山紫水明の地に展開しました。

八幡製鉄とともに発展した八幡東区の旧制中学、名門男子校として、地元のエリートたちを集めました。

戦争の時代を経て、新制高校、男女共学へと、激動の時代、新しい時代の流れとともに、八高は多くの青春をそこに育み続けました。しかしまさかの校舎全面移転によって大蔵時代は幕を下ろします。

校舎移転後、現在まで54年を経る清田時代は、学区拡大の波に翻弄されます。移転の翌年に、八高は八幡東区の中学6校による小さな学区から、中学が30校以上ある大きな第3学区へ組み込まれ、その学区のとんでもない端っこに追いやられた苦しい伝統校としての歴史を歩みます。

現在につづく八高清田の歴史は、「たとえ遠くても八高に行きたい」という生徒を集め、「通学は大変だったけど、八高で良かった」という生徒を送り出す、そのために「誠」と「鏡」の校訓、「洞海のほとり」の校歌につながりながら、生徒はもちろん、多くの人たちが魅力ある八高創りに知恵を絞り、努力し続けている歴史です。 >

内容はともかく、本番2分ピッタリ、そこだけほめていただきました。

教師目線の歴史ですね。しかたがありません。

特に現在進行形の清田の歴史は、43年間をここで過ごした僕には、こんなふうに見えてしまいます。魅力ある八高でなければならない、という発想から様々なことがなされています。

・・・・予餞会・部活・八高ファイト・文化祭フィナーレ・課外授業・国公立大学現役合格・校訓高唱・理数科・体育大会スタンド・バス校内乗り入れ・SSH(スーパーサイエンスハイスクール)・朝課外廃止・女子制服改定・文理共創学科・・・・項目だけでは説明になりませんが、底流するのはどれも「魅力ある八高づくり」と感じています。

今まさに現役の後輩たちが「鐵あかり」「映画製作」「若松イルミネーション」などなど、新しい活躍をしている姿も、僕にはどこか八高の歴史につながって見えてしまいます。

ガンバレ若き八高生、おじさんたちは応援してるぞ。

高校27期 上掛靖良