<八高つれづれ草子> 第14回
上X国語翁
【 山陰の海と『羅生門』 】

国語の時間「また脱線だい」ということで。
先日ふらりと出て、ビールをお供に山口から山陰本線に乗り、温泉津温泉、石見銀山あたりを歩きました。石見銀山の静かな家並みの途中に小学校。正面玄関前に校訓か校歌の一節か、碑があります。
『かわらぬまこと ひとすじに からだをきたえ ちをみがく』
おおー、われら八高の『誠ひとつの ひとすじの道』のお仲間じゃないか、と妙な笑みを浮かべ写真を撮る爺あり。

駅のポスターで見た景色にひかれ、羽根海岸へ行くことに。
無人の羽根駅を出ると小さな案内板。これがビックリ。100年ちょっと前、大正4年の夏、芥川龍之介がこの駅で降り、友人とこの海辺で遊んだ、とのこと。
職業病です。たいそう嬉しくなり、あれこれ調べました。

友人とは井川恭(恒藤恭)。松江出身で、芥川とは第一高等学校の同級生で生涯の親友であったという。
その井川が大正4年8月、23歳だった芥川を(芥川の失恋を慰めるということもあり)松江の実家に招待している。滞在は3週間近く。その折に二人でこの羽根駅に降り立ち、近くに宿をとったとある。
井川の文によれば、二人は羽根の旅館に着くとすぐ海に飛び込み、沈む夕日に
・・・「あっ、うつくしいね!」「うつくしいね!」と波の間から二人が嬉しくてたまらないような声を叫んで、そのゆうべの「日の終焉」の栄えを讃めたたえた。・・・
みなさん『羅生門』の思い出はありませんか。もう何十年も高校国語の定番、チャンピオンです。実はこの大正4年は、芥川が11月にその『羅生門』を発表する年なのです。そうすると、夏8月にこの山陰の地で失恋の痛みをリフレッシュし、芥川はあの名作を仕上げたのでしょうか。23歳、スゴイ。

駅のすぐ目の前が、誰もいない冬の羽根海岸。広がる日本海の右手に立神岩が見える。おおー絶景。波音は絶えません。寂しくてきれいな海辺です。
大正の青年二人はこの海で遊び、五右衛門風呂に入り、漁火を眺め、怪談を語って眠りについた、とあります。
100年が過ぎます。二人の写真(webより借用)は第一高等学校時代のもので、左が芥川。芥川はこの山陰旅行の12年後、35歳で世を去ります。井川恭は、著名な法哲学者として活躍、大阪市立大学の初代学長をつとめ、昭和42年78歳で他界。
この日本海の景色、二人が見たのと同じ景色なんですね。
今年も暮れます。お付き合いありがとうございます。

高校27期 上掛靖良

