<八高つれづれ草子> 第9回   

                              上X国語翁

【 あったなあー 修学旅行 】

八高のHP、学校行事のところに今年も修学旅行の記事があがっています。

今回は「あったなあー、修学旅行」ということで。

人生、時間は均等に流れるはずなのに、不思議なくらい高校の頃の記憶は多く残っていませんか。中でも修学旅行の数日間などは特別な保存のされ方をするんでしょう、今でも思い出せるシーンがいくつもあります。

八高史をめくると、大正12年の「京都伊勢方面、1週間」と記録にあるのが最初だと思いますが、あの当時、汽車を乗り継いで、伊勢までとは。何ともスゴイ旅行に思えます。昭和の初めもそのようです。昭和7年から戦時下には修学旅行が実施された記録は見えません。

終戦後、四国や関西方面で旅行は再開されたようで、昭和30年代には関東圏、国会議事堂、鎌倉大仏前の記念写真も見えます。昭和40年頃からは黒部ダム、信州、富士山、東京方面が多かったですね。

時代は修学旅行にも新しいスタイルを呼び、昭和57年、八高にスキー修学旅行が始まります。雪の世界で数日の大合宿、昼も夜もそれはそれは色々ありました。信州、新潟、北海道、30年以上これは長く続きました。

平成29年から海外(シンガポールなど)と国内を希望で分ける修学旅行が3年間だったか、その後コロナ期を越えて、現在は北海道や関東修学旅行のようです。

乗り物も時代のもの、新幹線の前は夜行列車、お座敷列車と呼んだりした修学旅行専用列車もありました。今や航空機の修学旅行です。

昨年の北海道修学旅行、福岡発の全日空機の副操縦士は、10年ほど前に僕のクラスだった69期生の上原君。機内アナウンスで「八高生のみなさんの今後のご活躍を」と粋なエールを送ったとのことです。

修学旅行には特別な出来事がつきものです。

50周年史には、昭和の初めにこんな思い出の記事もあります。

・・或る年この修学旅行中、山陽線で生徒が一人汽車から落ちて、次の汽車で怪我もなく帰ってきた者があったことが今でも忘れられない・・・・。(野村常蔵先生)

いつの時代もこの旅行には、印象深いことや、とんでもないエピソードが残ります。みなさんいかがですか。僕が生徒のときもそうです、今や無罪放免のことたちが・・・・青春の残骸です。

「修学旅行かぁ、あったなあー。」ということで。

※写真は記念誌などからです。

 最後のラフティングの写真は昨年の北海道修学旅行、八高HPからです。

高校27期 上掛靖良