<八高つれづれ草子> 第17回
上X国語翁
【 思えば遠くへ 】

「私の上に降る雪は」の流れでもう一つ中原中也からお話を。
中原中也は16歳で故郷山口を離れ、立命館中学に転校、その後18歳で東京に出ています。似たようなことは地方に育った僕らも経験します。
大学進学などで北九州を離れ、知らない場所で新たな生活を始める。青年にとって人生初の自立自活の始まり。その生活が少し長くなると「思えば遠くへ」というフレーズが時折じんわり胸に来ます。
中原中也は『頑是(がんぜ)ない歌』にこう歌います。
「思えば遠く来たもんだ
・・・・・・・・
それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいづこ
今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど
・・・・・」
武田鉄矢が『思えば遠くへ来たもんだ』と歌にし、映画やドラマにもなりました。地方出身のアーティストには、やはり同じように故郷を離れることへの感傷をえがいた作品があります。


僕も八高の後は実家を出て関東で4年を過ごしました。この文章を読んでくださる皆さんも、地元を離れておられる方も多いと思います。中には海外で暮らしておられる方も。「思えば遠くへ」や「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という言葉はどう響くでしょう。
「遠く」は距離ばかりの話ではありません。時間もそう。「こんな歳にまで自分がなるなんて・・」という想いは皆さん同じでしょうか。人生は遠くまで行く時間の旅でもありますね。つい先日まで、自意識過剰の18歳だったはずなのに。
学生時代わずかに数回の帰省でしたが、冬場は岐阜あたりで車窓に雪景色を見たり、やがて左手に瀬戸内の光る海が見えたり、いよいよ列車がゴーーーという音とともに関門トンネルに入る時の感触は今も残ります。帰る場所、だったかなあ。
到着した駅のざわめき。こちらには石川啄木のいい歌があります。
ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
(『一握の砂』)

これからが始まりの八高生にはもちろん人生は「前」にしか広がってない。<青年は荒野を目指す>です。「遠く」の感覚はもっとずっと先のものでよいと思います。でもこの「遠く」の感覚も、しみじみしてなかなか味わいのあるものだと感じます。

高校27期 上掛靖良

